コンサルタントコラム 744
転勤の値段

私の物心がつく頃まで、家族はある種の「転勤族」だったそうで、私をのぞく面々は妙な引越準備スキルを心得ています。昔のアルバムに代表される思い出トラップに惑わされない意思力、日頃は温存されている大胆不敵な収納・梱包力、そして、将来の引越を見据えて未開封の段ボールを押入れの奥に眠らせておく中長期的視点(捨てればいいのに…)等々、幼心ながら、引越のたびに驚かされてきました。

想像にたがわず、転勤は世の引越理由の大きな位置を占めています。人口移動調査(2013)1によれば、現住居への転居理由の4.5%(第6位)、5年後転居予定理由の10.8%(第3位)にあたるそうです。規模でいうと、国内で年間約60万人が転勤のために居住地を変更しています2

現在の住居に来た理由
(%、n=22,206)
5年後転居の予定ありの理由
(%、N=8,699)
(出所:国立社会保障・人問題研究所 (2013) 『第7回人口移動調査 (2011年度調査)』)

転勤の目的と効果

JILPT調査(2017)3によれば、大企業であるほど転勤の可能性が高く、企業が転勤を行う主な目的は、「社員の人材育成」や「社員の処遇・適材適所」、「人事ローテーションの結果」等となっています。このうち、「社員の人材育成」という企業側の目的は、従業員側にとっても認識されており、職業能力の向上や、人脈形成の機会としての効果が認められています。特に、赴任に際して役職が上がる/仕事内容が異なる/仕事の難易度が上がる場合ほど、職業能力が上がったと認識されているようです。

正社員(総合職)の転勤状況
(%、n=1,852社)
転勤の目的
(複数回答、%、n=1,133社)
 
直近の転勤を経た後の職業能力の変化

(%、n=5,431(国内)、620(海外))
現在の会社での転勤に対する認識
(能力開発、昇進・昇格関連)
(%、n=5,827名)
 
(出所:労働政策研究・研修機構 (2017) 『企業における転勤の実態に関する調査』)

転勤の課題点

一方で、結婚や育児、介護との両立の難しさや、家族への負担の大きさなど、転勤は各ライフステージにおいてワーク・ライフ・バランスの実現を妨げる日本だけの雇用慣行であるとして多くの課題点が指摘されています。以前から「多様な形態の正社員」(いわゆる「ジョブ型正社員」)を模索する動きの中で議題として取り上げられてきたテーマではありますが、特に直近では、2017年1月11日開催の厚生労働省の研究会で前述のJILPT調査結果4が報告されたのを機に、様々な報道・議論がなされています。

また、併せて研究会で報告された中央大学WLB PJ調査(2016)5では、転勤経験者の35%が「転勤経験」と「転勤以外の異動経験」の間で能力開発面のプラス効果に違いはないとしている点や、転勤経験と能力開発に有意な関係が見受けられない点、そして、課長クラスの24.5%、部長・次長クラスの34.7%は転勤経験が無くても実際に役職に就いている点等から、これまで想定されてきた「転勤の人材育成効果」を慎重に見直す必要性が提言されています。

現在の会社での転勤経験に照らして
困難に感じること(性別)
(%)
現在の会社での転勤に対する認識
(転勤・単身赴任関連)
(%、n=5,827名)
(出所:労働政策研究・研修機構 (2017) 『企業における転勤の実態に関する調査』)

ジョブ型正社員への期待

このような勤務地(転勤)の問題に限らず、仕事内容の変更、労働時間の延長(残業)を受け入れる義務がある、いわゆる「無限定正社員」を取り巻く諸課題(労働市場の二極化(正規/非正規)や、女性活躍推進の課題、進まないWLB(長時間労働等)、過労死・ハラスメント等)6への対応策として、「ジョブ型正社員」(職務内容や勤務地、労働時間等を限定した正社員)の普及が謳われています(例えば、厚生労働省(2014)(7)、鶴(2016)8)。雇用のあり方は、家族や教育、社会保障のあり方等と密に関わっていることもあり、転換というよりは選択肢がまだら模様に広まっていくものと思われますが、無限定正社員に比べて高満足度・低ストレスであり、従業員の意欲・安心感も高い9「ジョブ型正社員」に一つの対応策しての期待が集まっています。

実際、企業へのアンケート調査(厚生労働省(2012)10)でも、多様な正社員区分を設けている企業では、人材確保、多様な人材の活用、人材の定着等の効果が認識されています。しかしながら、導入・運用に際しては様々な課題が発生しており、最も代表的なものは、無限定正社員とジョブ型正社員の業務内容と処遇差設定にあるようです。

仕事に対する満足度

(%、n=2,000名(無限定)、902名(勤務地限定))
多様な正社員と成長、意欲、 安心、キャリア展望

(点、n=2,000名(無限定)、902名(勤務地限定))
(出所: 鶴・久米・戸田 (2016) 『多様な正社員の働き方の実態』 RIETI Policy Discussion Paper Series 16-P-001)
多様な正社員区分を設けるメリット

(%、複数回答、n=932社)
正社員に複数の雇用区分を導入・運用するにあたって
生じた課題・解決策
(自由回答件数)
 
(出所: 鶴・久米・戸田 (2016) 『多様な正社員の働き方の実態』 RIETI Policy Discussion Paper Series 16-P-001)

転勤の値段(転勤プレミアム)―いわゆる無限定正社員と勤務地限定正社員の処遇差

さて、ここで問題になっている無限定正社員とジョブ型正社員の間の処遇差は、どのように設定するべきなのでしょうか。厚生労働省の有識者懇談会11が「双方に不公平感を与えず、又、モチベーションを維持するため、(両正社員区分間の)処遇の均衡を図ることが望ましい。」と方針を提言しているものの、具体的な差のつけ方については未だ市場プラクティスが固まっておらず、「如何なる水準が均衡であるかは一律に判断することが難しいが、いずれにしても、企業ごとに労使で十分に話し合って納得性のある水準とすることが望ましい。」としか言えない状況です。

手がかりになりそうな参考データとしては、前述の厚生労働省(2012)のアンケート調査結果が挙げられます。同企業アンケートからは、勤務地限定正社員の賃金水準(実態)がいわゆる無限定正社員に対して主に80~100%未満に分布していることが分かり、仮に階級値を用いて加重平均をとると約85%となります。一方で、同従業員アンケートから、「勤務地限定正社員として働く場合に許容しうる時間あたり給与水準の差」の加重平均をとると、約91%となります12

これらの加重平均の逆数をとって、「転勤プレミアム」係数(参考)は約×1.1~1.18倍程度と仮置きできるかもしれません。試しに、賃金センサスから引用した所定内給与平均額13に当てはめてみると、男性(年齢階層計)で約3.9万円/月~6.7万円/月、女性(同)で約2.6万円/月~4.4万円/月に上ります14。この「転勤の値段」、従業員にとっての成長・キャリアの機会や家族生活上の負担感に比べてどう感じられるでしょうか。企業にとっては、配置の柔軟性や人材育成効果・組織活性化のメリットがこれ以上に見込めそうでしょうか15

【企業】多様な正社員の賃金水準
(n=406社)
【従業員】許容しうる処遇水準
(n=2,028名)
(横:無限定正社員に対する処遇比%、縦:構成比%)
※企業・従業員とも勤務地限定正社員に関する回答

(出所:厚生労働省 (2012)
『「多様な形態による正社員」に関する研究会報告書』)
転勤の値段 (試算イメージ)
(H27賃金センサスより作成)

(出所: 厚生労働省 (2016) 『平成27年賃金構造基本統計調査』より作成)
 

この値段を一概に高い/安いと評価することは困難ですが、シンプルに考えれば、柔軟な配置の権利をなるべく安価に確保したい企業(需要側)と、転勤させる権利をなるべく高く買い取ってもらいたい従業員(供給側)の間の、需給バランスによって値段が形成されそうです。近年、事業環境の変化がますます速まるなかで変化への対応と雇用保障16を両立するため、企業はなるべく異動・配置上の制約を設けたくないでしょう(需要維持~増)。一方で、共働き化×(子育て+介護の必要)等を背景として、転勤できる/希望する従業員は減少が予想されるため(供給減)、転勤プレミアムは上昇トレンドにあると考えられます17

企業にとっては、働き手の確保の観点からも、人件費管理の観点18からも、自社の「転勤」の目的・効果・コストを見直す必要があるのではないでしょうか。それは取りも直さず、「高い忠誠心」「遅い昇進19」「低い転勤プレミアム」等を背景としたこれまでの人材マネジメント全体が、働き手の価値観・環境の多様化にあわせた再検証を求められているということかもしれません。

1 労働政策研究・研修機構(2016)『企業における転勤の実態に関するヒアリング調査』JILPT資料シリーズ No.179, p.7
 ただし、データは国立社会保障・人問題研究所(2013)『第7回人口移動調査(2011年度調査)』より。
2 厚生労働省『転居理由別 常住地移動者数』(第1回「転勤に関する雇用管理のポイント(仮称)」策定に向けた研究会 参考資料1)
 ただし、データは総務省『平成24年就業構造調査』より。2011年10月~2012年9月の間に居住開始した者のうち、本人の仕事の都合(転勤)によるものの人数。
3 労働政策研究・研修機構(2017)『企業における転勤の実態に関する調査(2016年8月~9月調査)』「調査結果の概要」(厚生労働省、「転勤に関する雇用管理のポイント(仮称)」策定に向けた研究会 配布資料7), p.6、p.25、p.29
4 労働政策研究・研修機構(2017)『企業における転勤の実態に関する調査(2016年8月~9月調査)』「調査結果の概要」(厚生労働省、「転勤に関する雇用管理のポイント(仮称)」策定に向けた研究会 配布資料7), pp.29-29
5 中央大学大学院戦略経営研究科ワーク・ライフ・バランス&多様性推進・研究プロジェクト(2016)『ダイバーシティ経営推進のために求められる転勤政策の検討の方向性に関する提言』「関連データ(2015年11月~12月(企業)、同10月(個人)調査)」, pp.18-19
6 鶴光太郎 (2016) 『生産性向上と働き方改革』 第16回RIETIハイライトセミナー(2016年11月17日開催) 配布資料.
7 厚生労働省(2014)『「多様な正社員」の普及・拡大のための有識者懇談会 報告書』
8 鶴光太郎(2016)『人材覚醒経済』日本経済新聞出版社
9 鶴光太郎・久米功一・戸田淳仁(2016)『多様な正社員の働き方の実態-RIETI「平成26年度正社員・非正社員の多様な働き方と意識に関するWeb調査」の分析結果より』RIETI Policy Discussion Paper Series 16-P-001, pp.12-14, p.18
10 厚生労働省(2012)『「多様な形態による正社員」に関する研究会報告書 企業アンケート調査結果』, p.36, p.38
11 厚生労働省(2014)『「多様な正社員」の普及・拡大のための有識者懇談会 報告書』 別紙1, p.32
12 厚生労働省(2012)『「多様な形態による正社員」に関する研究会報告書』企業アンケート調査結果 p17、従業員アンケート調査結果 p.14より作成。ただし、企業調査のうち「不明」と回答した10.8%については総数から除外したうえで、各選択肢の構成比を再集計している。また、加重平均計算の際には階級値(例えば80%~90%未満の階級であれば、階級値=85%)を用いているが、「70%未満」は65%、「100%超」は105%と仮定している。また、従業員調査は雇用形態別に結果が得られているが、ここでは「いわゆる正社員(n=2,028名)」の結果を用いている。
13 ここでは、便宜的に賃金センサスのサンプルを代表する雇用形態をいわゆる無限定正社員と仮定して、平均所定内賃金の内のりとして転勤プレミアムが内包されているという前提で試算している。ただし、実際には各企業によって労働契約・終業規則内の定めや現実の転勤の有無・頻度に大きな違いがあるため、「転勤プレミアム」が現在支払ってい給与に内包されていると言えるか、外数として捉えるべきか、一概には言えない点に要留意。
14 厚生労働省(2016)『平成27年賃金構造基本統計調査』より。製造業/大卒/企業規模計(10名以上) /常用標準労働者の年齢各歳別所定内給与額を年齢階層別に労働者数で加重平均。その上で、前段で試算した転勤プレミアム(×1.1~1.18程度)による加算分を割り戻して、転勤プレミアム額を試算。
15 ここでは、柔軟な異動・配置の権利の維持にかかるコストのみを考えているが、実際に転勤を行う際には、これに加えて転居費用や転勤社宅費用・別居手当などより直接的な転勤コストが発生する。
16 いわゆる「メンバーシップ型」の雇用慣行において、転勤を含む幅広い人事権と、雇用の保障(長期雇用の優先)は背中合わせの関係にある。例えば、労働政策研究・研修機構 (2016) 『企業における転勤の実態に関するヒアリング調査』 JILPT資料シリーズ No,179, pp9-10.ただし、前掲注6の厚生労働省(2014)では、勤務地限定性が配置転換等による解雇回避努力義務を否定しない旨が言及されている。
17 ただし、労働契約・終業条件内での勤務地限定の定めがない中で、転勤の運用があまり行われてこなかった企業が新たに勤務地限定正社員区分を設ける場合においては、転勤プレミアムの価格決定メカニズムはより複雑になる。企業側にはこれまで支払ってきた給与に含まれている(ただしほとんど行使されてこなかった)転勤プレミアムの価値を高くとらえる誘因があり、従業員側には逆に転勤プレミアムの価値を低く捉える(あるいは内包されていないと考える)誘因があると予想される。
18 なお、海外の企業においても、特にマネジャー以上の幹部層(及びその候補者層)では「転勤」を伴う異動がありえるが、日本の管理職に比べて高い報酬水準や経営幹部としてのキャリアパスの広がりと対になって成立しているものと考えられる。転勤プレミアムが上昇してゆく場合、人件費の観点からは、「早い選抜」「早い昇進」への転換も検討する必要があるだろう。
19 「遅い昇進」が日本企業における男性のラットレース均衡を支えている点と、早い選抜・昇進をふまえた育成投資が男性のラットレース均衡の変更と、女性の活躍支援への効果的・実行可能な方策となりうる点については、加藤・大湾 (2013) 『産学官連携プロジェクトから見えてきた日本の人的資源管理の特徴と問題点』国際シンポジウム 日本の人事を「科学」するーグローバル化時代における雇用システムを考える(プレゼンテーション資料), pp24-30.を参照。より詳しくは、Kato, Kawaguchi, Owan (2013) 『Dynamics of the Gender Gap in the Workplace: An economic case study of a large Japanese firm (Revised)』 RIETI Discussion Paper Series 13-E-038.を参照。

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