執筆者: 阿久津 純一(あくつ じゅんいち)
組織・人事変革コンサルティング コンサルタント
『第4次産業革命をリードする日本の戦略』と題した「新産業構造ビジョン」(1) (中間整理)が、先ごろ経済産業省から発表されました。データのプラットフォームを海外に依存し付加価値が海外流出する「現状放置シナリオ」では、今後15年間で従業員数が▲735万人(対2015年度比▲11.6%) となる一方、技術革新を活かし産業構造の転換を図る「変革シナリオ」では574万人分の雇用が維持・創出され、正味▲161万人(同▲2.5%) に留まる、といった産業構造・就業構造の変化予測が広く注目されています。しかしながら、人事に携わる皆さんにとって最も気になるトピックは、この後に続く具体的戦略の一つに挙げられた「人材育成・獲得、雇用システムの柔軟性向上」ではないでしょうか。
「人材育成・獲得、雇用システムの柔軟性向上」の中で謳われている具体的な方向性は、1) 新たなニーズに対応した教育システムの構築、2) グローバルな人材の獲得、3) 多様な労働参画の促進、4) 労働市場・雇用制度の柔軟性向上の4点です。いずれも長期的に労働生産性を向上させていくうえで重要な論点であり、かねてより議論が積み重ねられていますが、本稿では、今すでに就業している従業員の雇用のあり方を議論している 4)に注目してみましょう。
この中で、まず審議会が課題設定しているのは、企業への帰属を固定化して人材投資を行っていく所謂『メンバーシップ型』 (2) の雇用システムが日本には依然として温存されている点と、グローバルかつスピーディーなビジネス変革に対応出来る円滑な就業構造の転換を進めることが必要であるという点です。これに対する打ち手の基本的な方向性として、リスクの少ない労働移動の支援等による労働市場の流動化、事業/業界の再編や新陳代謝促進、個人の成果ベースの評価/人材管理を前提とした労働法制への変革、そして企業による長期雇用を前提として組み立てられてきた社会保障制度の見直し、等が打ち出されています。
付加価値が低下あるいは頭打ちとなっている成熟産業から、より高付加価値の成長産業へと労働移動が進むことで、労働生産性が向上する(ひいては賃金も上がりやすくなる)、というのが雇用流動化推進論の基本的な論旨です。しかし、長期安定雇用の中ではじめて実現できる技能・技量形成が日本企業のパフォーマンスの源泉となっているという反対意見もあります。これらの議論に対して、エコノミストの山田久氏は近著 (3) で日本の労働移動と経済パフォーマンスの計量分析や日米独比較に基づいた興味深い見解を示しています。
曰く、「生産性向上につながり経済を活性化させる労働移動もあれば、そうではない生産性を低下させる労働移動もあるので、そもそも雇用流動化と経済活性化の関係を一概に解釈することは妥当ではない」という認識を議論の出発点にしています。その上で、前者を「デマンド・プル型」、後者を「コスト・プッシュ型」と呼び、デマンド・プル型の労働移動に人材育成が結び付くときに、生産性向上をはじめとする経済活性化が起こるという仮説を裏付けています。
私はこの見解について総論としては納得感があるように考えています。これらの類型は一定期間に亘って、とある社会や業界を観察した末に見えてくる結果論であるようにも思えますが、雇用のあり方を単独で検討するのではなく、人材育成投資とセットで考えることの重要性は説得的です。では、企業個社の人材育成投資や人事制度を考えるうえで、これらの議論からどのような次なる課題認識が得られるでしょうか。
一つの示唆は、デマンド・プル型の労働移動と結びつくことで長期的な生産性向上のカギとなる人材育成投資の重要性を認識した上で、必ずしも単独企業で完結しない、企業・業界の協働による人材育成投資にも積極的に取り組むべきではないか、という点です。人材育成投資を単体企業が投資・回収する枠組みのみで考えると、労働移動の活性化を想定した時の投資インセンティブが低減し、結果的に職業別の労働市場の成熟を妨げてしまいます。鶏と卵ですが、それは巡り巡って生産性を向上させるような労働移動の機会を減少させ、業界全体の生産性向上を妨げることにもなりかねません。
山田氏の提言にも、スウェーデンの改革に学んだ公的な職業訓練等のセーフティ・ネット拡充や、政府・民間の協力による人材育成が言及されていますが、その他にも、各種の高度専門職においてかつてから存在する職業別団体による後進育成のような形態もあれば、グループ内あるいは取引企業内での人材交流を通した育成、近年IT企業に見られるような企業の枠を超えたエンジニアの育成という先駆的事例も耳にします。
とある企業が中途採用やM&A (いわゆる "Acqui-hire" (4) を含む)等の労働移動と人材育成を結び付け、事業の成長を加速させようというとき、その大前提には、"厚みのある" 外部労働市場 (5) や、高付加価値の人材が集まるM&Aターゲット(企業や部門)の存在が必要です。そうした人材を増やすべく、一部の人材輩出企業だけではなく、各企業・業界が協働して人材育成投資・生産性向上の一翼を担うような仕組みづくりが重要なのではないでしょうか。
もう一つは、これは冒頭に触れた経済産業省のレポートでも強調されていますが、もはや事業や業界の変化だけではなく、仕事(職種や職務)自体の大きな変化にも対応する必要があるという点です。ジョブ型正社員 (6) への転換、あるいは職務主義人事制度の導入ということを想像するとき、今ある仕事が前提にされがちです。しかしながら、AIやロボット等の技術革新により、事業のあり方のみならず、仕事そのものの質・量が大きく変化 (7) すると考えられます。
その時、まだ役割や責任の定まっていないポジション( "仕事を創ることが第一の仕事" )や、職能定義に当てはめようのない新たな人材ニーズも出てくるでしょう。当面は、長期インセンティブの重点活用なども視野に入れながら、人事制度の枠外で特別対応していくという手段もありえるかもしれません。しかし、長期的には職務主義( "仕事ベース" )か職能主義( "能力ベース" )かを問わず、いずれの人事制度においても、職務や求められる能力の多様化・変化をふまえた柔軟な処遇を可能にする制度・運用へのアップデートが必要になるのではないでしょうか。