※本稿は『月刊 人材教育』2014年8月号(日本能率協会マネジメントセンター)に「グローバル調査レポート第8回」として掲載された記事です。
2015年のASEAN経済共同体(AEC)の発足を展望し、多くの日系企業が有望な成長市場であるASEANへの進出を加速している。中でも2000年代後半以降の目立った傾向として、地域統括機能や事業統括機能等の本社機能の一部をシンガポールへ移転する事例が増加している。新たに地域統括機能を設置した企業は、1990年代に19社であったのに対して、2000年代は31社に増え、2010~2011年についてはわずか2年で9社に上っている1。また、事業統括機能に関しても、大手企業の事例が相次いで報じられている2。
これらの企業の大半は、シンガポールへ本社機能を移転することにより、経営体制を強化し、市場ニーズを正確に把握したうえで、迅速な意思決定を実現することをめざしている。ただし、そのような経営戦略を支える組織・人事機能のあるべき姿については、多くの企業がいまだに試行錯誤を続けている状態である。
そこでマーサーでは、2014年4月に、在シンガポール統括拠点を有する(あるいは検討中の)日系企業を対象に、組織・人事機能および組織・人材マネジメント施策の最新動向の把握を目的として、サーベイを実施した。参加企業数は、大手を中心とした幅広い業界の32社。なお、同サーベイ実施前の2013年12月に、同じく在シンガポール統括拠点を有する日系企業に対してインタビューも実施。本稿ではそこでの結果も踏まえつつ、浮き彫りとなった最新動向を解説したい。
サーベイ結果の説明に入る前に、日系企業が先行して展開している北米や欧州、中国の地域統括拠点と比較して、在シンガポール統括拠点が持つ経営の固有性について触れておきたい。
第1に挙げるべきは、在シンガポール統括拠点の管轄地域が、今後、大きな成長を期待される新興市場であることである。勢い、統括拠点経営の重心は事業成長の支援に置かれる。一方、中国を除けば、北米や欧州は基本的に成熟市場であり、すでにそれらの市場に進出して久しい場合、一般的に今後の大きな成長は望みづらい。そこでの統括拠点の重心は経営の高度化、すなわち効率性の向上となることが通常である。
第2に、在シンガポール統括拠点の管轄地域は、政治・経済・社会・文化等多くの面で多様性に富むことである。ASEAN諸国のマクロ経済指標のみを比較しても、一人当たりのGDPが5万米ドルを超えるシンガポールやブルネイから成る先進国グループから、1万米ドル前後のマレーシアやタイの中進国グループ、5000米ドルに満たないその他の開発途上国グループまで、大きな違いが存在する。インドやオセアニアについても管轄地域に含むことが多いことを加えて考えると、その多様性はさらに高まる。一方で、北米や中国は1つの(あるいは類似性の高い)国であるし、欧州もEUを中心として一定の類似性を有している。
こうした固有性を持つ在シンガポール統括拠点は、他地域での過去の経験が適用しにくい状態と言え、その分経営の難易度は高いと考えられる。2013年12月に実施したインタビューでも、欧州での駐在員経験を有する統括拠点幹部に複数名、面会したが、欧州での経験を適用することの難しさを異口同音に指摘していた。
それでは、サーベイ結果を見ていきたい。まず、在シンガポール統括拠点において、どの組織・人事機能の重要度が高いと認識されているのか、またそれらの機能に対して現状の充足度はどのように理解されているのかを確認したい。
図1によると、重要度が高い機能には、「戦略・計画策定機能」(4.6)、「経営リスクにかかわる分野のガバナンス機能」(4.4)、「経営基盤の設計・導入機能」(4.2)、「本社に対するコミュニケーション機能」(4.2)、「各現地法人に対するコミュニケーション機能」(4.2)、「タレントマネジメント」(4.2)がある。具体的に担っている役割は各社により違いがあると想定されるものの、これらについては、統括拠点の基本機能として広く認識されていると考えていいだろう。
一方、これらの重要度の高い機能のうち、現状の充足度との差異に着目すると、「戦略・計画策定機能」(1.8)や「タレントマネジメント」(1.6)が目立つ。これらは仕組みやプロセスが一旦整備されれば、一定程度有効に働く性格の機能ではなく、むしろその時々の経営環境に基づいた対応が求められる特性を有する。継続的な取り組みが求められ、充足度を上げることは易しくないものの、統括拠点が組織・人事機能をさらに強化し、事業成長への貢献を果たしていくためには、避けることのできない部分と考えられる。
【図1】統括拠点における各組織・人事機能の重要度および充足度(N=26)
次に、在シンガポール統括拠点において、どのような組織・人材マネジメント施策がすでに実施され、また今後どのような施策の実施を検討しているのかについて見たい。
図2が示す通り、実施中の施策には、コンプライアンス・内部統制(73%)、人件費管理(50%)、人事情報管理(46%)、さらには評価制度設計・導入(50%)、等級制度設計・導入(46%)等の人事制度関係が上位にある。これらは総じて、統括拠点あるいは管轄組織における組織・人材マネジメントを進めるうえで最低限必要な経営基盤の整備に関する施策である。
一方、検討中の施策には、採用力強化(62%)やリテンション強化(58%)、経営幹部育成(50%)等の優秀人材の確保・活用に関するものが上位にある。相対的に、経営基盤の整備にかかわる施策は、一部を除いて下位に位置している。
こうした変化は、統括拠点の設立当初に求められる基盤整備が概ね完了し、組織・人材マネジメントの主眼が事業成長への貢献に移行しつつあることを示唆している。ただし、このことは、シンガポールという流動性の高い労働市場における人材獲得競争に本格的に参入することを同時に意味しており、日系企業に課せられた新たなチャレンジと言える。
役員報酬の仕組みをオープンにし、株主への説明責任を果たことで、株主からの信用と幅広い投資家からの株式保有を進めることができる。そのこと、長期的に自社の企業価値の向上と資金調達を容易にすることにつながる。
【図2】統括拠点における実施中および検討中の人材マネジメント施策(N=26)
実施中の施策 | 検討中の施策 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 施策 | % | 順位 | 施策 | % | |
1 | コンプライアンス・内部統制 | 73% | 1 | 採用力強化 | 62% | |
2 | 評価制度設計・導入 | 50% | 2 | リテンション強化 | 58% | |
2 | 役員人事・報酬管理 | 50% | 3 | 経営幹部育成 | 50% | |
2 | 人件費管理 | 50% | 3 | 人事体機能運営制構築 | 50% | |
5 | 等級制度設計・導入 | 46% | 5 | 域内異動・配置規定策定 | 46% | |
5 | 人事情報管理 | 46% | 5 | 人事情報管理 | 46% | |
5 | 要員計画・管理 | 46% | 7 | 中堅・若手育成 | 42% | |
5 | 域内組織・人事戦略策定 | 46% | 7 | 代謝強化 | 42% | |
9 | 中堅・若手育成 | 42% | 7 | 域内報酬ガバナンス | 42% | |
9 | 人事機能運営体制構築 | 42% | 10 | 報酬制度設計・導入 | 38% | |
11 | 経営幹部育成 | 38% | 10 | 域内組織・人事戦略策定 | 38% | |
11 | 役割責任権限規定 | 38% | 12 | シェアードサービスの提供 | 35% | |
11 | 域内報酬ガバナンス | 38% | 12 | 等級制度設計・導入 | 35% | |
14 | 報酬制度設計・導入 | 35% | 12 | コンプライアンス・内部統制 | 35% | |
15 | 域内異動・配置規定策定 | 34% | 15 | その他 | 31% | |
16 | シェアードサービスの提供 | 27% | 15 | 役割責任権限規定 | 31% | |
17 | リテンション強化 | 23% | 17 | 評価制度設計・導入 | 27% | |
17 | 採用力強化 | 23% | 18 | 要員計画・管理 | 23% | |
19 | 代謝強化 | 15% | 19 | 役員人事・報酬管理 | 19% | |
20 | その他 | 4% | 20 | 人件費管理 | 15% | |
経営基盤の整備に関わる施策 | ||||||
優秀人材の確保・育成に関わる施策 |
いざ、これらの組織・人材マネジメント施策を実行するうえでボトルネックになるものは何だろうか。図3の通り、ボトルネックとして最も多くの企業に認識されているのは「人材の不足」(69%)である。「権限の不足」(54%)、「ノウハウ・情報の不足」(50%)が続き、「予算の不足」(42%)という回答は意外にも半数に満たなかった。
【図3】人材マネジメント施策実行におけるボトルネック(複数回答可)(N=26)
それぞれの具体的な内容をもう少し細かく見ていこう(図4)。
まず、人材の不足については、「本社・域内に任せられる人材がいない」(50%)、「任せられる人はいるがアサインが難しい」(50%)が同数回答であり、施策実行を任せられる人材が限られることや、そうした人材がいる場合でも配置することが難しいことがわかる。
次に権限の不足については、「統括拠点に権限がない」(50%)以上に「本社・統括拠点間の権限がそもそも曖昧」(64%)という回答が多く、統括拠点が組織・人事の領域でどのような役割・責任権限が担うことになっているのかが不明確であることを示している。
最後にノウハウ・情報の不足については、「本社・統括拠点にノウハウ・情報がない」(100%)と回答が集中しており、施策を実施するうえで必要な知識を欠いている企業が大半であることがわかる。
これらを合わせて考えると、統括拠点の組織・人材マネジメントに対する要求が高まる中、人事部門が限られた経営資源で奮闘している実態が垣間見える。
【図4】ボトルネックの具体的内容(複数回答可)
人材の不足 | N=18 |
---|---|
本社・域内に任せられる人材がいない | 50% |
任せられる人はいるがアサインが難しい | 50% |
その他 | 28% |
権限の不足 | N=14 |
---|---|
統括拠点に権限がない | 50% |
本社・統括拠点間の権限がそもそも曖昧 | 64% |
その他 | 29% |
ノウハウ・情報の不足 | N=13 |
---|---|
本社・統括拠点にノウハウ・情報がない | 50% |
市場に前例がなく、ノウハウ・情報が存在しない | 64% |
その他 | 29% |
最後に、在シンガポール統括拠点が、どのようにして現在抱えている問題を解決し、事業成長を効果的に支援できるのかについて考えたい。
本サーベイへの参加企業や、2013年12月のインタビュー対象企業の多くが、限られた経営資源の中で成果を求められていることを考えると、優先順位を明確にして、高い実施効果が想定される取り組みに絞って実施することが現実的であろう。もちろん各社での個別検討が重要なのは言うまでもないが、マーサーでは、「採用・リテンションの強化」および「役割・責任権限の明確化」を共通性の高い取り組みとして捉えている。
「採用・リテンションの強化」を目的とした取り組みにはさまざまなものが存在するが、EVP(Employee Value Proposition:企業が現在および将来の社員に提供する価値)の確立・浸透が中心的な施策になる。
シンガポールのような人材獲得競争が激しい市場においては、製品のブランドと同様に、雇用主としてのブランドの確立が極めて重要である。金銭的報酬、非金銭的報酬、キャリア機会、会社評判等の側面において、自社が競合と比較して従業員に何を提供できるのかを明確にして、訴求することが求められる。日本国内で安定的な労働市場に恵まれていたことや、海外拠点において主要ポジションの多くを駐在員が占めていたことから、日系企業にとってEVPの確立は一般に不慣れな領域だが、本格的な人材獲得競争を勝ち抜くための必須の取り組みとして位置づけるべきであろう。
もう1つは「役割・責任権限の明確化」である。前述のとおり、日系企業は、本社・統括拠点・管轄事業会社(さらに各組織内の主要ポジション)の役割・責任権限が不明確な場合が多い。大手企業であれば、決裁権限規程は高い精度で整備されているものの、各組織やポジションが本来的に何に対して責任を有しているのかという観点が不足している。
一歩踏み込んだ検討を進めるため、プロジェクトマネジメントで活用されるRACI図3と呼ばれる手法を活用することを推奨したい(図5)。その際、統括拠点設立の目的からひもといた関与判断基準(例:拠点間シナジーの追求)に基づいて検討を進めていくことが、関係者間の議論を建設的に進めていくうえで有効である。同時に留意すべきこととして、全てを最初から理想型で策定せずに、現状の組織能力を冷静に見極めつつ、短期的にはここまで、中長期までにはここまでめざすといったように、時間軸で分けて整理することである。
【図5】RACI図(例)
項目 | 本社 | 統括拠点 | 事業会社 |
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地域優秀人材向け研修 設計 | C | R/A | |
地域優秀人材向け研修 参加者選定 | I | R/A | C |
地域優秀人材向け研修 実施 | R/A | C |
多くの日系企業が、ASEANを中心とした地域での事業拡大を成長戦略の1つの柱として位置づけている。在シンガポール統括拠点への期待がますます上昇する中、中長期の持続的成長を実現するために、組織・人事機能が果たす役割は大きい。本稿がその検討の一助になれば幸いである。
マーサージャパン株式会社
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小原 香恋 Karen Ohara
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