M&Aが所期の目的を達成できるかどうか、一つの大きな鍵を握るのはPMI(Post Merger Integration)の成否であると言われています。商習慣・文化的背景の差異を伴うクロスボーダーM&Aはもとより、日本企業同士のM&Aにおいても特に人材面のPMIの難易度の高さが指摘されています1。
もちろん実務の立場から見ればM&Aの目的や文脈は常に多様ですから、必然的にPMIも個別性・一回性のある複雑な課題に向き合いながら前進させていくものですが、それらの中に何らかの成功(あるいは失敗)パターンを見出し、より良い意思決定に役立てることができないか、経営学研究の世界では多くの実証研究と概念化が試みられてきました2。
数あるアイデアの中でもっとも有名な枠組みは、(1)(買い手と対象会社の)事業戦略上の相互依存性と、(2)対象会社の自立性の要否によって、4種の望ましいPMI方針を示した『買収統合アプローチモデル』(図1)ではないでしょうか。M&Aに携わる皆さんは、どこかでご覧になったことがあるかもしれません。このモデルや、ここから発展した様々な派生モデルはM&Aの目的・文脈と、PMIのあり方を簡潔に結びつけ、状況認識や方針検討を助ける枠組みです。
(1)事業戦略上の相互依存性 | |||
---|---|---|---|
低 | 高 | ||
(2)対象会社の自立性の必要 | 高 | 保存 Preservation |
共生 Symbiosis |
低 | 所有 Holding |
吸収 Absorption |
しかしながら、M&Aを点の"イベント"として捉えて前後の関係を整理・研究するこれらの研究4に対して、本当に問うべきなのは、M&A→PMIの間をつなぐ(ときに数年にわたる)幅のある"プロセス"なのではなかろうか、という指摘もなされています。
いうまでもなく、M&Aはそれ自体が対象会社・買い手双方の従業員に大きな不安・動揺・ストレスをもたらす出来事です。何の手筈もなくPMIを進めれば、従業員の抵抗や意欲喪失を招くのみならず、転職しやすい優秀層から順に離職が続き、対象会社の組織能力の弱体化につながりかねません。どのようなM&Aでもある程度の混乱は避けがたいものの、そこから「いかに早期に組織の能力・意欲を、目的に対して必要十分な水準まで立て直せるか?」が、PMIの成否を占う鍵でしょう。そして、この役割を担う人事の活動(HRM)こそ、M&A(目的)とPMI(結果)の間を橋渡しする重要なプロセスとして捉えられるべき、という主張がなされています(図2)。
日頃、M&AやPMIに向き合っていらっしゃる人事の皆さんにとっては、「そりゃそうでしょう、何を今さら」という受け止めもあれば、「よくぞはっきり言ってくれた」という感想もあるかもしれません。M&A・PMIの類型別にHRMの注力すべき領域を整理した枠組みは興味深いので、以下にご紹介します。
M&Aの目的 (独立変数) |
M&Aのゴール | 保有資産の吸収 | 組織能力の獲得 | 協働による価値創造・機会の拡大 |
---|---|---|---|---|
採用するM&A戦略 | 併合と同化 | 獲得と保護 | 相互連携と成長促進 | |
HRMの注力領域 (媒介変数) |
能力伸長 Ability-enhancing HRM |
✔ | ✔ | ✔ |
意欲向上 Motivation-enhancing HRM |
— | ✔ | ✔ | |
機会拡大 Opportunity-enhancing HRM |
— | — | ✔ | |
HRMの重点ゴール | 人員余剰の解消 人材の統合 |
人材獲得 組織能力の整合 |
相互エンゲージメントとエンパワメント | |
PMIの姿 (従属変数) | 吸収 | 保存 | 共生 |
この枠組みを通してBruellerらが主張しているのは、例えば、対象会社の「保有資産の取得」に主目的があるM&Aの場合、特に「(A)能力伸長(と見極め)」に関わる領域(例:採用、選抜、研修など)での人事の積極的関与があってはじめて、「吸収」型のPMIが実現できる、ということです。このような吸収の過程では、先に述べたような従業員の動揺や抵抗が起こる中、限られた時間内で対象会社の人員構成・能力分布を理解する必要があります。そうした能力の見極めに基づいて、買い手への吸収・同化をスムーズに進める上で必要不可欠な機能・ジョブ・人材の特定とリテンション施策・同化促進施策を検討する一方で、間接部門の機能重複や人員の余剰/不足がある場合の解決方法を検討することが求められます。
また、対象会社の「組織能力の獲得」に主眼がある場合には、能力伸長に加えて、「(M)意欲向上」施策の重要性も増します。競争力ある報酬制度や福利厚生制度、柔軟な勤務形態、あるいはキャリア開発支援等のツールを活用しながら、対象会社の人材の意欲・エンゲージメントを高めることで、対象会社の組織能力を維持・発揮し続ける「保存」型のPMIが実現できる、と言っています。M&Aの発生自体が従業員にとって多大なストレスをもたらしていることを前提に考えたとき、意欲向上への積極的な取り組みを伴わない"おまかせコース"(≒放任)では、対象会社の組織能力を「保存」することさえままならない、という指摘は示唆に富んでいると思います。
そして3点目として、買い手と対象会社の双方が知見を共有し学び合うことで互いの強みの拡大・成長を図っていくような「相互連携と成長促進」戦略をとる場合、人事が能力伸長・意欲向上に加えて「(O) 機会の拡大」にも取り組むことで、「共生」型のPMIに到達できるとしています。例えば、買い手と対象会社の人材交流や、ジョブローテーション、ハイポテンシャル人材の早期選抜トラックの設定や、サクセッションプランなど、PMIのプロセスを通して両社の従業員にとってキャリアパスや学習・成長、そして自己実現の機会が広がっていくことが重要とされています。
M&Aの文脈にもよりますが、ほとんどの場合、PMIフェーズはもとよりクロージングのはるか以前から両当事会社の人事チームは膨大なタスクに追われます。大過なくクロージングを迎えるだけでも大仕事です。組織・人事のPMIの重要性や難易度をはなから軽視する方はいないと思いますが、多忙と混乱の中で、何にどこまで取り組むのか優先順位の整理がつかないまま、まず目に見えやすく最低限必要なタスクの対応に終始してしまうケースは多いのではないでしょうか。
Bruellerらの整理は、各項目の内容もさることながら、何をどこまでやるか優先順位の検討にヒントを与える枠組みだと、私は感じています。仮に能力・意欲・機会の全てに常に注力できるのであればそれに越したことはありませんが、現実には予算にも投入時間にも制約があるなか、ましてM&Aの場合には通常の人事業務に追加して、PMIプロセスに取り組むことになります。例えば、買い手側の方がより効率的なオペレーションを持つ場合に、対象会社の持つ追加のオペレーション網の「併合と同化」を図るM&Aの場合は、効率性の見極めと配置転換・再教育等を含めた適正人員体制の実現にまず集中するべきで、その他の領域の優先度は劣後させるべきでしょう6。一方、対象会社のチームが独自の優れた組織能力を有していて、その「獲得と保護」を意図するようなM&Aにおいては、時に買い手の水準を上回る相応の処遇や、買い手組織とは異なるワークスタイルを許容・促進する必要もあるでしょう。しかし、そういった労働市場分析や処遇設定・運用・ガバナンスのケイパビリティがない(或いはそうするつもりもない)という場合には、そもそもこのM&Aの目的はどこにあるのか?果たして自社に「保存」型のPMIを実現できるのか?自体を再考する必要があるのではないでしょうか。
PMIの文脈に限らず、人事の領域では「やったら良いと思われること」のポジティブリストが無限に増えがちですが、(明白なMustではなく) 多数のNice to Haveの中に優先順位をつけるのは容易ではありません7。M&Aの目的と実現すべきPMIの姿の間を橋渡しするのために、人事は何に注力すべきなのか?という観点から、注力すること/やらないことを検討する際の、一つのヒントになっていれば幸いです。
執筆者: 阿久津 純一 (あくつ じゅんいち)
組織・人事変革コンサルティング コンサルタント