近年、日本では生産性の向上が注目されている。政府の働き方改革の取り組みを始め、生産性をテーマにした本がヒットし、至る所で生産性を高めようと関心が高まっている。この生産性を高めようという動きは日本のみならず、経済発展とともに生産性を高めてきたアジア新興国でも今後重要なテーマとなりつつある。今回のコラムおよび次回のコラムでは前編と後編に分けて、我々が組織人事の観点からアジア地域の生産性向上をテーマに調査したレポート1の内容をご紹介しつつ生産性向上について考えてみたい。
なぜ、生産性の向上がこれほど重要視されているのか。様々な背景が考えられるが、ビジネスの不確実性が高まっていることが1番の要因であろう。Brexitやトランプ大統領の就任、為替の急激な変動、自動運転やAIといった新技術の登場など企業を取り巻く外部環境は目まぐるしく変化している。その変化に伴い、グローバルな環境でリーダーシップを発揮できる人材、高度なスキルをもったITエンジニアなど、市場での需要が高い人材の賃金水準は年々上がっている。これらの事象はすべて一企業ではコントールできるものではない。では、企業内部でコントールできることは何か?それこそが生産性である。つまり、外部環境の変化の将来予測が不可能な現状において、企業が持続的な成長をしていくためには企業内部でコントールできる要素、すなわち従業員の生産性を向上させることに注目が集まっているということである。
そもそも生産性とは何だろうか。日本生産性本部2によると、生産性は「アウトプット(産出量) / インプット(投入量)」と定義されている。このインプットとアウトプットがくせ者で、インプットは労働者数、労働時間、資本、土地、原料など様々な項目があてはまる。アウトプットも、売上高、営業利益高、付加価値額、生産量、GDPなど様々な項目があてはまる。このように生産性は、幅広い項目の効果・効率性を表す言葉である。したがって、生産性の議論をする時は、何のアウトプットのための、何のインプットについての話をしているのか明確にすることをお勧めしたい。(なお、OECDでも「産出物を生産諸要素の1つによって割った比」と定義しており3、単一の項目はなく、アウトプット / インプットは複数の項目が入り得ることと記載されている)
とはいえ、生産性は大きく3種類に分類することが可能である。1つめは労働生産性、2つめが資本生産性。3つめが全要素生産性である。
1) 労働生産性:
労働生産性は労働者1人もしくは労働者1時間当たりのアウトプット(産出量)を示したものである。一般的に生産性と言われたときはこの労働生産性を指すことが多い。アウトプットはその時の指標によって変わるが、インプットが労働力という意味で、企業単位でみるとどれだけ従業員が効果的に働いているかを見る指標といえる。
● 労働生産性 = アウトプット:売上高、付加価値額など / インプット:労働者数もしくは労働時間
2) 資本生産性:
資本生産性は有形固定資産をインプットとして、資本ストック1単位あたりのアウトプットを示したものである。通常、機械や設備1単位あたりの生産量や、機械や設備の運転時間あたりの生産額で表される。つまり、設備や機械が、どれだけ効果的に生産できているかをみる指標である。資本生産性を知ると、「企業の生産性を上げるためには、労働生産性ではなく資本生産性を上げる方が簡単ではないか」という意見が出そうである。(例えば社員一人ひとりの業務効率を高めるよりも、最新の設備を導入した方が効果的だという考え)確かに一理あるが、経営の観点から言うと、資本生産性を大きく高めるためには相当額の投資が必要であり、可能であれば現在のリソースで生産性を向上させたい。その結果、まずは自社の従業員により多くの価値を出してもらいたいと考える。また、機械 / 設備では競合他社と差がつきにくい業界の場合は特に、競合に勝つためにも従業員の生産性をどう高めるか、と思案を巡らすことになるだろう。
● 資本生産性 = アウトプット:生産量、生産額など / インプット:有形固定資産
3) 全要素生産性:
全要素生産性は、労働生産性や資本生産性のように特定のインプットに対する指標ではなく、全ての要素をインプットとして合算した場合のアウトプットとの関係を示したものである。但し、労働、資本以外の経営効率、技術革新、ブランド価値向上などあらゆる要素をインプットに含むので直接的に計算することは困難である。よって実際は、生産性そのものではなく、生産性の伸び率が算出される。一般的にはGDP成長率が用いられることが多く、GDP成長率から労働と資本の変化による伸び率を引いた差として算出される。これは企業単位では使われることは少なく、国単位の比較で使用されることが多い指標である。
● 全要素生産性 = アウトプット:付加価値額、生産量など / インプット:全てのインプット
「世界の中で日本の生産性が低い」とよく言われるが、これは労働生産性の話である。具体的には、労働者1人あたりの付加価値(GDP)に着目した数値で、2014年度の調査ではOECD加盟34か国中、日本の労働生産性は21番目4であった。これを基に日本の生産性が低いと言われているのである。しかしアウトプットの要素が付加価値額(GDP)であることに着目すると、そもそも付加価値額は産業によって大きく異なるので国別の産業特性の影響を大きく受ける。
例えば2014年度OECD加盟国の中で最も労働生産性が高かった国はルクセンブルクだが、詳しく調べるとルクセンブルクは、産業特性的に労働生産性が高くなりやすい金融業や不動産業、鉄鋼業がGDPの半分近く占めていることがわかる。日本は、労働生産性が比較的低いサービス産業に従事する労働者の割合が多いので国際比較では低い結果になりやすい。(ちなみに製造業のみの労働者1人あたりの付加価値(GDP)の労働生産性でみると日本はOECD加盟34か国中11番にあがる。)また、OECDの調査では、インプットの要素である労働者数には国外からの就労者はカウントされない。そのため国外からの就労者が多い国の指標が高くなる傾向があり、国外からの就労者が少ない日本は比較的低い結果となってしまう傾向にある。
以上のように生産性の言葉の定義は広く、生産性の議論をする際には、インプットとアウトプットに何の項目が使用されているかを理解したうえで進めることが重要であるとご理解いただけたと思う。なお、本コラムで議論する生産性は、最も一般的な定義である労働生産性を意味しており、アジアの各企業が労働生産性を高めるためにはどうすれば良いかを考えていく。
以下のグラフはアジア地域における従業員1人あたりの付加価値額で算出した労働生産性の伸び率を1999年-2007年の8年間と2008年-2016年の8年間を比較したものである。
まず、日本の労働生産性の伸び率の低さに目が留まると思う。加えて筆者としては、日本以外の国々の結果にも目を向けたいと思う。インド、インドネシア、フィリピンの3か国を除くと、1999年からの8年間と2008年からの8年間を比較すると、アジア各国の労働生産性の伸び率は低下傾向にあるのだ。一般的には、中国やASEAN諸国は高い経済成長とともに労働生産性も高い伸び率を記録しているというイメージがあるのではないだろうか。しかし、実際は労働生産性の伸び率は低下し始めている。本分析ではその原因まではわからないが、アジア諸国においては機械化・自動化だけで労働生産性を飛躍的に向上させることができた時代が終わりを迎えつつあることを示唆している。
アジア諸国では労働生産性の伸びが低下傾向に入った一方で、賃金水準は上昇し続けている。筆者の感覚では、アジア諸国における概ね過去1年間の各企業の昇給率は、8年間の労働生産性の伸び率と同程度以上である。仮に、労働生産性の低下傾向が今後も続き、賃金水準だけはそれでも上昇し続けた場合、アジア新興国に拠点を持つ企業にとって深刻な問題となることはご理解いただけるだろう。したがって、日本のみならず、経済成長著しいアジア新興国においても、持続的な成長をしていくためには従業員の労働生産性を高めていくことが企業の重要課題と言えるのである。
では、従業員一人ひとりの生産性を向上させるためにはどうすれば良いか。本調査では、アジア新興国に拠点を持つ各企業のHR責任者約50名に対してアンケートおよびインタビュー調査を行った。その結果の1つをご紹介したい。
HR責任者が労働生産性を高める取り組みをするうえで重要だと思っている上位3項目は、
(1)労働生産性の向上を主導するリーダーシップの強化
(2)従業員のエンゲージメントの強化
(3)テクノロジーの活用
であった。着目すべきは、テクノロジーの活用以上に、労働生産性の向上を主導するリーダーシップの強化と、従業員一人ひとりのエンゲージメントの強化が重要であると、アジア新興国のHR責任者は考えているという結果である。これは先ほど申し上げた、日本はもとよりアジア新興国においても技術導入だけで労働生産性を改善できた時代が終わり、新たな時代を迎えつつあることを感じ取れる結果である。
次回の後編のコラムでは、(1)労働生産性の向上を主導するリーダーシップの強化(2)従業員のエンゲージメントの強化に関して具体的な内容をご紹介したい。
執筆者: 池淵 慶 (いけぶち けい)
組織・人事変革コンサルティング アソシエイト