年金ニュースレター第16号
年金リスクマネジメント - 米GMにおける年金債務削減事例の検証
加藤 貴士

執筆者: 加藤 貴士(かとう たかし)

年金コンサルティング シニア アクチュアリー
日本アクチュアリー会 正会員・年金数理人
日本証券アナリスト協会検定会員

 先日アメリカで、年金リスクマネジメントにおける大きなニュースがあった。米ゼネラルモーターズ(以下、GM)が260億ドル(約2兆円)の年金債務を削減したというものである。日本においても年金リスクへの対策の重要性が議論されることも多いが、今回は年金リスクマネジメントについてGMの事例から検証してみたい。

 一般に年金リスクへの対策というと、給付減額の実施、確定拠出年金の導入、安全資産へのシフトといったことが挙げられる。もちろんそれらもソリューションとなりえるものであるが、海外ではあるべき姿を設定し、その状態に到るまでの戦略を練り、実行するプロセスが基本になると考えられている。

* LDI:Liability Driven Investment 年金債務や支払いの予測に基づいた年金資産運用
** エクイティカラー:株式の価格変動時の損益を一定範囲に抑えるためのオプション取引

 それではGMの事例を見ていきたい。なおGMは本件に限らず年金リスク削減に積極的に取り組んでいる。現役社員については2012年10月より将来の年金積み上げを全額401(k)プランに以降されることや、2011年内に年金資産配分を株式・不動産などのリスク資産から債券へシフトさせている。本件はそれらの方策を決定・実行した後の、受給権者への取り組みである。

 今回GMが実施する年金債務削減とは給付債務の減額ではなく、会計上の退職給付債務を削減するもの。具体的には年金の給付義務を(年金資産とともに)保険会社等に移転する、年金バイアウトと呼ばれる取引となる。この取引を実行することで、企業は退職給付債務・年金資産のスリム化による年金リスクの低減が可能で、保険会社はバイアウト時に引き継いだ年金資産を原資として適切な資産運用を行い、受給権者に対して年金支払いを実行することとなる。

【バイアウトのイメージ】

 

【GMの実施するバイアウトによる受益者への影響】
対象者区分 変更内容
1997年9月以前退職者 給付:従前の年金額
支払元:GMから保険会社へ変更
1997年10月~2011年11月退職者 給付:以下の3とおりから各受給権者が選択
  • 一時金として一括受け取り(年金の放棄)
  • 単生年金または連生年金での受け取りを選択
  • 従前の年金額、年金内容
支払元:GMから保険会社へ変更
現役社員・2011年12月以降退職者 給付・支払元ともに変更なし

(注)
 単生年金:受給権者本人の生存の限り支給
 連生年金:受給権者が死亡した場合でも、配偶者が生存の限り支給

 現役社員や最近の退職者について変更なしとなっているが、これは現役社員の将来の給与や退職時期の不確実性から給付債務を確定することが難しく、また事業主が自身や受益者の有利となる(最終給与比例の場合最終年の給与の引き上げなど)行為など恣意性を働かせることが可能であることから、第三者に承継する性格のものではないためである。

 ここで一つのポイントは保険会社への年金支給義務の移転にあたり、一定のプレミアム*を要求されることが一般的で、今回の取引でもGMは年金債務260億ドルの削減実施の一方で、資産を260億ドル引き渡すだけでなく25~35億ドルの一時費用(一括拠出)を2012年下期に見込んでおり、これがプレミアムに相当するものと考えられる。

* プレミアム:企業の貸借対照表上の退職給付債務と比較し、(1)保守的な計算前提の適用による負債計算結果の増加および(2)保険会社の適正利益の確保のため、資産の上積みを求めるもの

 

 またGMは本取引により今後の損益計算書上でも年間約2億ドルの損失を見込んでいる。これは年金債務減少による利息費用の減少額よりも、年金資産減少による運用収益の減少額の方が大きいと見込まれるためと考えられる。

 2011年度末決算時のGMの連結退職給付債務が1,343億ドルであることから、今回のバイアウトで年金債務(リスク)の約2割削減を実施する一方で、一時の費用として30億ドル前後、また恒常的に2億ドルの追加費用が生じることが見込まれている。単純に損益計算書だけを見ればマイナスであろう。しかしながらこの取引をGMが実行する理由は、目先の費用以上に大きな年金リスクを問題視し、その削減が優先されたことに他ならない。事実、2011年度末決算におけるGMの自己資本は約400億ドルであり退職給付債務はその3倍以上であることから、年金債務の変動性は重要な経営上の懸案であったはずである。短期的には会計上の損益やキャッシュフローが悪化することと、長期的には年金債務圧縮による貸借対照表の変動性が縮小することや、年金リスク削減による本業でのリスク許容度の向上(および投資家へのリスク削減のアピール)を天秤にかけ、GMは後者によるメリットが大きいと経営上の判断があったことが窺える。

 市場はこの取引をどのように評価したのだろうか。

 まず格付会社の評価では、S&Pはニュートラル(リスク削減は費用負担に見合っている)とし、フィッチはポジティブ(リスク削減は費用の増加以上の改善効果を生む)としている*。証券会社アナリストのコメントも、概ねポジティブまたはニュートラルであることから、日本で想像するよりも海外では年金リスクの管理を重要視していることが見えてくる。

* ブルームバーグより引用

 

 ここで年金バイアウトを行う際の留意点は、過度なプレミアムの支払いとならないようバイアウト先への譲渡価格を交渉することが一つ挙げられる。将来の費用予測とともに一時の損益への影響はアナリストの注目を受けるものであり、彼らの評価する一つのポイントとなる。

 また受給権者の不利益とならないよう、将来に亘って給付を確実に続けられる引受先を選定することも肝要だ。

 日本では年金バイアウトはなじみがなく、また実施にあたってはまず法整備などが求められる。そのため日本における年金リスク削減方法は海外のそれといくらか異なる点もある。しかしながら適切な戦略を立案し、冒頭のようなロードマップの作成・管理・実行といった年金リスク管理は日本においても参考となるものであろう。

 海外の投資家が年金リスクを重要視していることはGMの事例からも明らかであり、その視線を受けている日本の企業も年金リスクと向き合い、マネジメントに取り組むことは既に求められているのかもしれない。