年金ニュースレター第6号
グローバル年金ガバナンス

マーサーでは全世界に向けて、人事・財務関連の様々なトピックについてインターネット上でのセミナーを開催している。先日、日本発という事で、本邦における確定給付企業年金の財政計算プロセスについて、英語でプレゼンテーションを行う機会があった。

このセミナーでは、時差の関係から主にアジア地域の顧客を中心に集客を行ったが、実に3分の2以上が、日本以外の国からの参加者であった。残りの3分の1を日本在住の外国人を含む、日本法人の人事・財務担当者が占める。このセミナーが英語で行われたことを差し引いても、海外の(それも本社機能ではなく、リージョンでの)担当者が、日本の財政検証という、非常に複雑かつ関与しにくいトピックに対し、これほどまでの関心を持つということに違和感を持たれる読者の方もいるのではないだろうか。

確定給付年金制度における財政検証とは、資産積立の過不足について数理的検証を行い、必要に応じて掛金の額を変更・決定するプロセスのことである。実際に掛金を拠出するのは日本の現地法人だが、最終的にはその財務負担は連結ベースでの会社全体が負担することになる。欧米の企業ではこのような子会社での財務負担についても、リージョン担当を含めた、本社の担当者がガバナンス上しっかりと把握するような仕組みを確立している企業が多い。このような企業においては、「日本語なので、良く解らない」、「現地の担当に任せている」では済まされないよう、責任所在が非常に明確になっている。各担当者にとっては、ただでさえ解りにくい日本の年金制度についての解説を、英語で聞くことが出来る機会、ということで、上記のように好評をいただいた、と想像している。

このような世界各国の子会社が持つ年金制度の管理を一元化して行う枠組みは、「グローバル年金ガバナンス」などと呼ばれる。こういった仕組みは何も欧米企業の専売特許ではなく、日系企業のいくつかも既に海外の年金制度に対する管理体制を強化してきている。ただ、欧米系の企業の実態と比較すると、日系のグローバル企業の大多数は海外の年金制度に対してはノータッチだ、と言わざるを得ない。これはなぜだろうか?

いくつか代表的な理由を考えてみると:

  • 言語の問題
  • 情報フローが確立されていないため、「海外の年金制度」に関する知見を得ることが困難
  • 海外子会社へのガバナンス体制自体がそもそもあまり強固ではない
  • 「年金」という、いわば本業ではない分野へのインフラ投資の難しさ

といったところだろうか。

1番目の理由は、前述のセミナーの話を思い出していただければ、実はあまり本質的な理由ではないということがお分かりになるだろう。海外の担当者たちは「日本の制度」に対しても、ガバナンスの観点から知見を深めることを要求されており、日本人は外国語を障壁として考える傾向にあるが、海外の担当者たちにとっては日本語が障壁ということは理由にならない。

同様に、2番目の理由についても、体制を確立せずして情報を得ることなどそもそも不可能である。 子会社から自主的に各国の年金制度についての情報提供を行うわけも無く、ある程度の強制力を伴った仕組みを確立する必要がある。また、集めた海外の年金制度に関する情報を、本社の担当がそもそも理解できるのか、という問題はもっと切実である。日本の年金制度だけでも複雑なのに、ましてや英語で海外の年金制度を理解しようなどと、英語でドイツ語を学習するようなイメージだろうか。これは出来る、出来ないの前に、そもそもやる必要があるかどうかの判断が必要となるだろう。前述のセミナーに出席している海外企業のリージョン担当達は何らかの基準に基づき、日本の年金制度が持つ財務的な重要性を判断し、「重要だから知る必要がある」からこそ当該セミナーに出席していると考えられる。そのような重要性の判断材料としてはたとえば退職給付債務ベースで、重要と看做される規模かどうか、などである。その結果、必要であれば理解できるまで、たとえばセミナーなどに出る必要があるだろうし、現地の担当に照会するなどの対応が必要だろう。

個人的には、日系企業の特徴として3番目の占める割合は比較的大きいのではないかと思う。これは年金に限った話ではなく、事業全体において現地の判断に委ねる割合が、日系企業の場合は比較的高いと思われる。どれほどの意思決定を本社主導で、或いは現地法人が行うかの配分は、デリケートな問題で、正解は存在しない。ただし、企業全体のガバナンスを考えた際に、整合性のある枠組みが望ましいとは言えるだろう。たとえば設備投資などについては本社が意思決定に関与するが、年金などについては現地任せ、というのは、企業経営における人的リソースを、年金より設備投資に多く割り振っていることに他ならない。前述の通り、年金制度のリスクを総合的に判断した場合、たとえば退職給付債務が微々たる物であれば、それでも良いのだろう。しかし、海外の年金制度の中には母体企業の時価総額の数十倍にも上る債務額を持つ制度も存在する。本業以上のリスクを背負っているような場合、ガバナンスの度合いも相対的に高くならざるを得ないのではないだろうか?

最後に、「ガバナンス」関連の際に良く耳にする話ではあるが、昨今の経済環境の中で、いつかいつかとは考えつつも、優先的に予算を確保するのが難しい、というのが4点目の意見である。組織の中で人事或いは財務、といった部署を縦断的に網羅し、ひとつの管理体制を全世界に対し導入するというのは非常に大きな労力を要する。特に、年金制度はいわば「本業」ではない分野であり、設備投資の優先順位は一般的に低いと考えられる。

しかし、株主価値への影響という意味では、年金制度の運営も本業同様に企業の財務状況を圧迫する。 昨今の様々な年金問題に関連するニュースなどで分かるとおり、管理しきれなくなった年金制度の負債が企業財政を圧迫しているケースが増えてきている。本業ではないからといって影響が全く無いのではなく、今までは「年金制度の運営」が、「純利益」という経営陣の「通知簿」の項目に無かっただけである。ところが、現在国際会計基準との統合をにらみ、「包括利益」という考え方に焦点が当てられるようになった。このコンセプトは、「本業」と「それ以外」という括りにウェイトをおかず、企業の財務体質に影響のある項目は等しく評価対象として見せましょう、という考え方である。この考え方に基づけば、本業で稼いだ1億稼いだとしても、年金制度の運営で1億損すれば、何も稼がなかったと同等の評価ということになる。

この観点から、海外の制度を含め年金制度のガバナンスというのは、経営者それぞれが本業同様に気を配る課題のひとつであると言える。しかし、現実問題として、海外の制度にまで目を配るだけの予算と労力、ノウハウが無いというのも事実だろう。そのようなクライアントに対し、マーサーでは「グローバル年金インベントリー」というサービス(日本語での対応も可能)を提供している。このサービスでは、クライアントの持つ海外の年金制度を網羅すべく調査を行い、財務リスク上の観点から評価し、対応が必要となる制度を洗い出すことを目的としている。結果、コスト管理という観点から、制度改訂やプロバイダーの選定などを通して、運営コストの引き下げをある程度実現できる可能性もある。企業を読者自身だとすると、いわゆる本業に専念するための、ある意味、健康診断といえるだろう。診断の結果、対処すべき部分が見つかれば適切に対処できるだろうが、多くのケースでは自覚症状が無いままに、病状が進行している。中には、痛みを伴う自覚症状が出ているにも関わらず、多忙を理由に手術を後伸ばしにしているようなケースも・・・
何も人間に限った話では無いような気がする。