年金ニュースレター第2号
退職給付会計のアップデート
北野 信太郎

執筆者:北野 信太郎(きたの しんたろう)

年金コンサルティング
シニア アクチュアリー
英国アクチュアリー会 正会員

退職給付会計: 国際会計基準審議会が数理差異の即時認識を提案

国際会計基準審議会(IASB)は2009年1月下旬に会合を行い、2008年3月に公開されたディスカッション・ペーパーにおいて示された予備的見解をアップデートする形で、2009年2月にその内容を発表した。
当初のディスカッション・ペーパーの中で今後の見直し(フェーズ1)の課題として掲げられたのは大別して以下の3点である。

  • 退職給付制度を「給付建て約定」と「拠出ベース約定」へと区分する
  • 「給付建て約定」については、積立状況をバランスシートで即時認識する
  • 退職給付制度のうち、所謂「いずれか高い額の」オプションを有する制度の評価

 

これらの課題について、IASBは2009年内に公開草案を発表し、幅広く意見を求めるとしている。

今回のアップデートでは、上記の内2番目の、積立状況のバランスシートでの即時認識に関するIASBの見解がより明確になっている。ただし、積立状況の即時認識自体は以前から方向性がはっきりしており、これに関して特に目新しい部分は無い。焦点はむしろバランスシートの期中の変動をどのように費用認識するか、に移ってきており、現在提示されている複数の方法のうち、どれが最も適切であるかにつき関係者の間で根強い議論が続いている。

本稿ではこれらの議論について解説し、退職金制度や企業年金制度を持つ企業にとって、このIASBの方向性が持つ意味を考えたい。

1.バランスシートの即時認識

現在の日本の会計基準では、バランスシートの退職給付引当金を計算する際に、一部を未認識とする方法を認めている。つまり、退職給付会計上の積立不足のうち、資産額の予想以上の変動や計算基礎率の変更などにより発生する「数理計算上の差異」、或いは制度変更時に発生する「過去勤務債務」などは、発生時点ではオフ・バランスする方法が認められている。

米国会計基準でも数年前まで日本基準と同様のスタンスを取っていたが、2006年以降はバランスシート上の退職給付引当金は退職給付会計上の積立不足そのものとする方法に移行した。上記の認識方法と区別して、このような方法を、数理計算上の差異や過去勤務債務のバランスシートへの「即時認識」と呼ぶ。国際会計基準では今のところ、米国式の「即時認識」と、日本式の「オフ・バランス式」のどちらの方法も認めている。

これらの考え方の根本は、数理計算上の差異といった、企業の本業以外と考えられる変動要因について、どのように処理するべきか、という問題に起因する。つまり、たとえば「年金資産の運用」という本業以外と考えられる業務遂行の結果、大きく積立状況が悪化してしまった場合、「オフ・バランス式」と「即時認識」のそれぞれの論点を簡略化すると、以下のように纏められるだろう。

オフ・バランス式:  「年金資産の運用は長期に亘るもので、短期的な変動は長期的に見れば相殺しあう傾向が出ると予想される。ゆえに即時認識は必要ない」
即時認識:  「たとえ短期的な変動であっても、計測時時点の積立状況が悪化しているのは紛れも無い事実。オフ・バランスによる未認識項目は、財務諸表のユーザーに誤解を与える可能性があり、適切ではない」

このどちらの考え方が適切であるかについては議論の分かれるところだが、今回の見直しに関するディスカッション・ペーパーでは、即時認識の考え方の方がより「国際会計基準の概念フレームワーク」、並びにIAS8号「会計方針、会計上の見積もりの変更と誤謬」、IAS37号「引当金、偶発債務及び偶発資産」といった、他の会計基準とも整合性が取れるとしている。たとえばIAS37号だが、退職給付会計でのバランスシート債務に相当する引当金の計測について、「現在の債務を決済するために要する支出の最善の見積もりでなければならない」としている。未認識項目を加味した退職給付引当金は、現在の最善の見積もりとはいえない、という事だろう。

実際、米国基準がバランスシートの未認識債務を取り去る前から、財務諸表の「プロフェッショナル・ユーザー」である証券アナリストなどは未認識債務を加味しない、まさに年金制度の積立不足自体を投資判断の材料としていたという。現に2006年に米国会計基準がバランスシートの即時認識へと移行した際も、市場ではある程度織り込み済みだったと考えられ、大きな混乱などは見られなかった。

加えて、グローバル規模でのM&A市場の拡大の影響も見逃せない。実際、新聞を初めとする各メディアでも、日本基準と国際会計基準のコンバージェンスにより、海外での資金調達や、M&Aがやりやすくなる、といったコメントが見られた。M&Aを行いやすくする為に会計基準を見直す、という事ではないであろうが、少なくともM&Aの現場において「積立不足=バランスシート債務」と考える事、つまり未認識債務を即時認識する事は既定路線として行われており、財務諸表のユーザー(少なくともM&Aという局面において)にとっては「未認識債務の調整」という余分な手間を省けることとなる。

2.退職給付費用における数理差異の処理

上述したように、バランスシートでの即時認識は半ば既定路線で、それ自体に特段の目新しさは無い。今回の議論の的となっているのは、「バランスシートの変動をどのように費用処理するか」という点である。

前段で、現行の国際会計基準では「オフ・バランス式」と「即時認識」の2通りのバランスシートの認識方法を認めていると述べた。このうち、例えば即時認識を採用している場合は、期中のバランスシートの変動を、「予測可能な通常の費用」と、「予測できない収益」とに分け、前者を「損益計算書(P&L)」で、後者を「認識収益費用計算書(SORIE)」で認識している。このアプローチの意味するところは、まさに1)で述べたような短期的な運用損益といった要素を、企業の業績の目安である(と考えられている)P&Lで費用認識する事は適切ではなく、予測可能な「通常の費用」のみをP&Lで、その他の変動要素はSORIEで認識しようということである。ちなみに、オフ・バランス式を採用している場合は、本邦会計基準同様、「予測可能な通常の費用」に加えて、オフ・バランスとなっている未認識項目の償却を含む額が、それぞれの会計年度の費用となる。

しかしながら今回のアップデートに対する関係者のコメントを聞く限り、P&Lとその他包括利益(OCIと略される、P&L以外の変動要素)の区分をつけないアプローチが現在のところ最も有力だと考えられているという。つまり、バランスシートの積立状況の期中の(資産運用実績などを含む)変動を全てその会計年度のP&Lで認識するということになる。その是非はどうあれ、P&Lは母体企業の業績を表すと考えられている事が多い。実際に、年金制度設計などの際にP&Lへの影響を一番気にされる企業も少なからずいる。そういった状況の中で、今回の提案は画期的且つ非常に大きな意味を持つ事となる。

3.企業が年金制度を持つ意味

所謂、「本業」ではないと考えられる年金制度の運営の成果を、P&Lで開示するということに対しては抵抗も大きいと推察され、この秋から予定されている公開草案に対しても、各企業や各種業界団体から反対の声が上がることと予想されている。しかし、このアプローチの言わんとするところを纏めてみると、「本業以外でリスクを取る場合においても、株主に対して説明責任が生じる」という事であろうか。

企業年金制度の運営とは言うまでも無く本業ではない。その本業では無い確定給付型企業年金制度の運営は、代表的な所で、資産運用リスク、金利リスク又は長寿リスクなどを内包しており、企業経営者たちはこれらのリスクに対する管理能力を「P&L」という通信簿で計られることとなる。つまり本業同様の管理体制を問われることとなり、これまた本業同様のリスク・テイクに対する説明責任が生じる。

株主を初めとする投資家たちにとって魅力的な企業とは、本業で適切なリスクを取り、安定したリターンを提供する企業だと考えられる。もしその上で投資家たちが長寿リスクなどへのエクスポージャーを望むのであれば、自身の投資先のポートフォリオに、例えば長寿リスク管理を本業とする生命保険会社の株式などを加えることで、これを達成する事が出来る。そう考えると、銘柄選択の可能な株主の観点からすると、本業以外のリスク・テイクの結果をP&Lで認識する以上は、企業として年金制度の株式投資などのリスク・テイクを否定するものではないとしても、行う場合はよっぽど本腰を入れて取り組むべきではないだろうか。欧米では既に、「取るべきリスク」と「取るべきでないリスク」を母体企業が慎重に考慮する方向へ向かっており、市場がそういったニーズの増加に応えた結果、例えば金利リスクと運用リスクなどに「LDI (Liability Driven Investmentの略)」を初めとした手法などや、長寿リスクに対しては「Longevity Bond (長寿債)」などが開発されて来た歴史がある。

このように、企業年金の内包するリスクが白日の下に晒される事になった結果、資産配分などについては意思決定プロセスにおいても経営陣の責任所在が厳しく問われる事となり、まさに一事業を行うのと同じぐらいのリスク分析を行ったうえでの投資判断を下す必要がある。企業の規模が大きくなればなるほど、その年金制度の占めるウェイトも大きくなり、株主価値に対するリスクも相対的に大きくなる。海外では株式時価総額の何倍もある年金制度を持つ企業なども存在し、そのような企業においては本業同様のガバナンスをもって年金制度に取り組む事もあるという。日本でもそれほどの規模ではないにしろ、いや、むしろそれほどの規模になる前に、年金制度を持つという事の意味をもう一度再考する時期に来ていると思われる。