ASEANでの現地化を妨げる3つの壁

1. 古くて新しい課題―「現地化」

海外拠点を持つ企業の共通課題に「現地化」がある。すなわち、日本人幹部が経営の要職を占め、現地法人の経営管理を行うといった従来のスタイルから、現地の市場や文化を深く理解したナショナルスタッフをそうした要職に登用し、より機動的な組織運営をしようとするものである。結果として、日本人駐在員よりも人件費が低く済むケースも多く、企業によってはコスト競争力の向上という視点で取り組まれているケースも多い。

しかしながら、この「現地化」という課題は、ずいぶん長い間取り上げられているテーマである。少なくともASEANにおいては、特に進出した日系製造業の間で、1960年代から既にその議論は始まっている。また筆者が当地タイに赴任した2010年からの7年間を見てみても、「現地化」は常に人事管理における中心課題であったし今もそうである。逆に考えると、なぜこれほど長く日系企業は同じ課題を持ち続けているのであろうか?

もちろん、現地化に成功している企業が無いわけではない。例えば某製造業大手の人事部門にはタイ国内の十数社のグループ企業の人事を束ねる非常に優秀なゼネラルマネージャーがいる。彼女は既に20年以上同グループに勤めており、日本語も流暢で人望も厚い。こうした優秀なナショナルスタッフが経営層に抜擢され活躍している例は、大手企業を中心に確かに存在するし、日本の本社も既に把握しているところだろう。

しかしながら、現地化という文脈において留意すべき点がここにある。それは上記のような成功例の多くが「日本人同様、長くその組織にいることで日系企業の経営スタイルを体得した人材を登用している」という点である。確かに日系企業には多くの組織知や独自の経営スタイルがある。それを体得した人材でなければ本当のリーダーにはなれないという意見にも納得できる。しかし、多くの企業が必要とする現地化について、長年勤め上げ、日本式経営を理解した一握りの人材に依存するだけで十分なのだろうか?事業で求められるスピード感で十分な質・量のリーダー人材を本当に確保できるのだろうか?

2. 現地化を妨げる3つの壁

ここで多くの企業が直面している「現地化を妨げる3つの壁」についてお伝えしたい。

1つ目の壁は、「自社の事業モデルとの不一致」である。つまり「現地化にふさわしくない組織で現地化を進めようとしている」のである。例えば、ある企業で5年かけても現地化が進まなかったケースがある。決して候補となる人材がいなかったわけではない。ではなぜ現地化が進まなかったのだろうか?

同社の現地法人は精密部品の製造のみを行う機能子会社である。重要な顧客は日本にあり、日本の営業部門を通じて、生産計画が組まれ、品質の高い製品を日々生産している。それらの重要顧客が同社との取引を継続している一番の理由は、同社の「トラブル対応力」にあった。万が一品質不良や納期遅れが起きても、原因を即座に追及し、対応策を迅速に提示できる機動性が、「安定供給」という強みを生み、顧客との強固な信頼関係を生んでいたのである。

この強みを支えていたプロセスは、実は日本本社と現地法人の間での連携プレーであった。日本人が、日本語で、緻密な連携を行っていたからこそ、そのトラブル対応力が保たれていたのである。この「本来、日本人が果たすべき役割」を無理に現地化するとどうなるだろうか?本来の強みを失ってしまい、多少のコスト削減効果はあったとしても、それ以上に事業収益に負の影響を与える可能性が高い。同社が現地化に失敗した理由も、事業モデルと合わない形での現地化を無理に進めようとした点にあったのではなかろうか?

もちろん日系企業が得意とする連携プレーを現地人材との間で実現することは可能である。しかし、そのためにはそれを自社の強みとして認識したうえで、それが出来る人材を確保し、育てたうえで、かつ現地人材が日本人と同様の動きが出来るような環境やプロセスを現地と本社の双方で整備する必要がある。こうした点を押さえぬまま現地化を進めようとしても、上手く行かないことが多い。

2つ目の壁は、「人材の流動性」である。ご存知の通り、日本を除く多くの国では、転職が一般的であり、若年層を中心に人材の入れ替わりが激しい。ASEANにおいては、多くの国で依然所得格差が大きく、一つの会社で長く勤めるよりも、転職を重ねたほうが給与水準は上がる。また、それが彼らにとっての「キャリア形成」だという認識が強い。

各国の市場環境もそれに拍車をかける。タイにおいては、失業率が1%を切る状況にあり、探そうと思えばいくらでも代わりの仕事を見つけられる状況にある。「石の上にも3年」という意識はなく、良いチャンスがあれば、現在の職場や給与に不満を持っていなくても、転職してしまうのが一般的である。シンガポールの人材市場は既に欧米化していると言って良い。「社内格差を生んだとしても、有能な人材を惹きつけるためには投資を厭わない」という姿勢を持つ欧米多国籍企業に高額の給与を提示されてしまうと、ロイヤリティが高い社員でも気持ちがぐらつかないはずはない。ベトナムではマネージャーを務められる人材が依然として圧倒的に少ない。一流大学を出て英語が話せる人材となれば給与は一気に跳ね上がる。それは業務経験や実務遂行力に関わらず、である。

こうした環境下で、自社の現地法人は有能な人材を引き留めておくだけの施策を打てているだろうか?「要職を任せられる現地人材がいない」と嘆く前に、「要職を任せられる人材を惹きつけるだけの金銭的競争力(報酬・福利厚生)および非金銭的競争力(キャリア機会・職場風土・はたらきやすさ)」を保てているかどうかをチェックする必要がある。

3つ目の壁は「文化の違い」である。海外に出れば、異文化理解が必要であることは、誰しも納得する点であろう。しかしながら、実際に現地に来てみると、その感覚の違いに唖然とすることも多い。例えば、「責任」という価値観は、どの国にも存在する。英語でもAccountabilityまたはResponsibilityという言葉があるし、組織の中にはジョブディスクリプションや等級定義など役割責任を定めたルールがある。組織において、それぞれがその役割責任を果たさなければ、協業が成り立たないのは自明である。これはASEANの人材でも同意するところである。

違うのは、そのこだわりの度合いとその背景にある価値観である。例えば、自分の作業計画が不十分で納期に遅れが出てしまった場合、残業してでも遅れを取り戻そうとするのは果たすべき「責任」だろうか?日本人であれば多くの方が頷くかもしれない。一方、ASEANの多くの国では、「仕事の後は家族と過ごすべき時間」という感覚が少なくない。彼らにとって、家族と共に過ごすことが「責任」なのである。対立する2つの責任感の中で、家族に対する「責任」を優先することは十分にあり得る。さらには、「働き"過ぎる"ことは良くない。」というような思想がタイでも多く見受けられる。同様に「考え"過ぎる"」ことや「相手に関わり"過ぎる"」こともあまり好まれない。何が適度で、何が行き過ぎなのかは議論の余地が残るところであるが、タイ人社員の声を聞くと、日系企業の駐在員の行動傾向は"やり過ぎ"だと見る向きが多いことは事実である。

ナショナルスタッフの幹部登用を考える際に、私たちはどのように「責任感」を伝えているだろうか?比較で言えば、多国籍欧米企業は、果たすべき結果責任を伝え、それをKPI(=業績評価指標)という形で客観化し、その目標が満たされている限りは、その行動まで細かく言うことはない。残業をしようがしなかろうが、また自分の頭を使って十分考えていようがいなかろうが、そこは関与しないのである。関与しないということは、本人に裁量を与えているわけであり、その分行動の自由度が広いのである。それに比べ、私たち日系企業は、最終責任と共に「こういう形で責任を果たすべき」といった独自の行動スタイルまで押し付けてしまってはいないだろうか?異なる価値観を持つナショナルスタッフにとって、現地化の中でそれを求められることは、指導というよりも、強制にしか映らないかもしれない。

3. 現地化を進めるための体制づくり

以上の通り、現地化が進まない理由には
・そもそも事業モデルと現地化の方針が合っていない
・合っていたとしても、それを担える人材を囲い込めていない
・人材がいたとしても、異文化下で上手く育てきれていない
の3つが考えられる。私たちは、これまでの議論の中で、こうした3つの壁を十分検討した上でアプローチを決めていたかどうか?現地化ありきで考えていなかったかどうか?を確認する必要がある。もし議論が不十分であったならば、まずは現地法人の現状に十分目を向けてほしい。3つの壁のどこにぶつかっているかによって、打ち手も異なるはずだ。

その際には、事業モデルを知る「事業部門」と人材確保に向けた施策を企画できる「人事部門」、そして異文化下で直接人材育成に携わる「駐在員」の連携が必須である。もし自社の現地化について、そうした関係者間での連携が十分でないと感じるならば、まずはその三者でチームを組成し、現地の実態を共有するところから始めてはどうだろうか?

こうした議論のファシリテーションやその事前調査について、弊社へのお問い合わせも昨今増えている。長らく解決できないでいる「現地化」について、本腰を入れている企業が増えている証であろう。現地化は一朝一夕で完了するものではないが、数十年掛けて行うものでもない。現地任せにせず、関係者が一堂に会して議論し、自社やそれぞれの事業に合った現地化のスタイルを見つけ、人材の確保・育成を加速する仕組みを作り上げることができれば、やがて「現地化」は古くて新しい課題ではなくなるかもしれない。


 

執筆者: 仲島 基樹 (なかしま もとき)
Principal, Mercer Japanese Business Advisory, Mercer (Thailand) Limited.