3+4=7?

「赤いおはじきが3個と黄色いおはじきが4個あります。合わせて何個でしょう?」

算数を学び始めた長男の学習塾での問題である。前提を疑うことなくシンプルに回答すると「3+4=7個」なのだろうが、何となく釈然としないし、実際長男もこれで良いのかといった表情。もっと深読みして、7個でいいのだろうか、と、生徒が考えてくれれば儲けもの、という趣旨だとすると、なかなか小学1年生には深い設問である。

というようなことを自宅で話していると、妻の幼少時にも似たような強烈なエピソードがあったそうだ。同じ年ごろの学校の算数の授業で:
「リンゴが3個乗ったお皿と4個乗ったお皿があります。合わせて何個のリンゴでしょう?」
という問いに対して、7個が正解とは限らないのではないか、と主張して、授業の終了の時間まで議論して粘ったそうである。なんでも:
「リンゴは赤リンゴと青リンゴかも知れないし、別の皿に盛っているのは何らか区別しているということかもしれない」ということだそうな。
先生にしてみると実にめんどくさいことを言う生徒かも知れないが、私が親だったら逆に発想の素晴らしさに快哉を叫びたくなる。

算数を学び始める際には、上記のように、まず「単位」を持つ数の組み合わせから足し算や引き算といった操作を考えていく。その際には、「単位」が揃っている事が前提になる訳で、「赤いおはじき」と「黄色いおはじき」だと単位が揃っていないが、「おはじき」にして初めて単位がそろう。故に「7個のおはじき」となる。

その後、徐々に単位を持つ数の考え方から、概念としての数へと移行するにつれて、3+4=7という普遍的な概念の操作へと切り替えていく。その過程で、単位が揃っているということは所与として扱うわけだが、それが本当に前提として正しいのか、という問いを幼少時の妻が問いかけた、という事だろう。

成長するにつれて、何となく「まあそういう事にしようよ」と前提条件をあえて深堀りしない対応が受験などでは求められる気もするが、それが大人になる、ということだとすると、何となく寂しい気にはならないだろうか。前提の妥当性を確認する、という事はビジネスのどの場面でも非常に重要なはずだが、「当たり前」とか「そういう事」で済ましていないだろうか。皆が「当たり前」と思うところにInnovationは存在しない。

ちなみに英語で「同じ土俵での比較」を「Apple-to-apple comparison」と表現したりする。
逆に、同じ土俵の比較で無い、ということは「Apple-to-pear comparison」という。
奇しくもここでもAppleが出現する。Appleには人に何か前提を確認させたくなるような魔力でもあるのだろうか。しからば、このAppleはつがるとふじでも良いのだろうか。
あるいは英語なので、Golden deliciousとJonagoldの比較でも良・・・
・・・私はいい歳した大人なので、これぐらいで。


 

執筆者: 北野 信太郎 (きたの しんたろう)
年金コンサルティング プリンシパル