『そのとこへ、升田名人がひょっと来て。「おー。お前のうちは、うまく『歩』を使ってるな」と、こういう話なんですね。「『歩』というものは、素晴らしいものだよ」と。「『歩』というものは、敵陣に行けば『金』になる」と。だから、「取られても、相手が使うときにはもう『歩』だ」って言うんですね。「こんな合理性のあるね、ものすごい、いいものはない。これをうまく使うやつが名人だ」と、こう言ったんです。』
これは、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。1976年、本田宗一郎氏が友人である井深氏の招きに応じ、SONYで1度だけ行った講演での一節である。
この言葉は、”人材マネジメントの真髄”を示している。
マネジメントをしていると、飛角金銀という強い人材を揃え、その人材に活躍してもらって勝負をすることに憧れるものである。特に、大駒である飛角のような人材ばかりだったらどんなに楽かとも考えるものだ。しかし、飛角金銀という駒は、味方に居て、存分に活躍している間は最高に頼もしい存在だが、その駒が相手に取られそうになったら、“王より飛車をかわいがり”とばかりにその駒を守るために苦労し、更には、相手に取られてしまったら、途端に自分が窮地に陥る。そんな存在だ。
実際、飛角金銀のような人材に対しては、引き留めるために時に報酬をより多く払ったり、コミュニケーション等の労力を払う苦労をされた方もいらっしゃるのではないだろうか。結果として、それは、最高に効率的な人材ではなくなってしまう。
そこに来て、「と金」人材とは、まさに「最高に効率的な人材」である。「使っているときは“金”として働くが、相手が使うときは“歩”でしかない」、当然ながらマネジメント側も思い切った活用をしていくことができる。言い換えれば、それは、「自社に居れば、最高のパフォーマンスを発揮できるが、他社に移れば、同じようなパフォーマンスの発揮が難しい」人材である。
当然ながら、経営側から見れば、そうした人材が数多く揃っているほど、効率的な経営が可能となる。それを実現するためには、強力な人材育成文化、自社への高いロイヤリティーの醸成、自社独自のノウハウやプロセス、チームワークによってパフォーマンスが発揮されている環境、等がそれを支える源泉となる。組織・人材マネジメントにおいても、その点にフォーカスすることが大切なこととなる。
さて、この考え方、経済学では「特殊関係資産」と呼び、自社の便益を高める有効な資産の一つとして定義している。これは、数学的にも説明、証明をされており、じっくり読んで、よくよく考えれば、何とか理解はできるものである。
しかし、本田宗一郎氏は、そんな難しい“理屈”ではなく、“地頭”によって、その意味を理解していたのだと感心した。そうでなければ、友人の招きに応じて行う重要な場で、わざわざこんな話はしないはずだ。さすがである。
この講演、最後は、こんな風に、締めくくられる。
『その彼が、僕に3段をくれるって言うんですよ。「本田、お前に3段をくれてやるから」って。「そりゃいいな、大丈夫かな?」って言ったら、「ええよ、やる。その代わり、ひとつ条件がある」って言うんですよ。
「絶対に、他人とやらんという、アレを書け」って言うんですよ。(会場笑)』
と。将棋の実力は、まったく存じ上げないが、私は、さすがに伝説の人物・・・三段どころではないと、圧倒されたことは言うまでもない。
執筆者: 中村 健一郎 (なかむら けんいちろう)
組織・人事変革コンサルティング プリンシパル
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