報酬額の基準はどこに―市場価値や需給が決める
※当記事は「日経産業新聞」に寄稿した連載の再掲載
ジョブ型雇用は、仕事を介した会社と個人の労働力に関する市場取引だ。したがって個々のジョブの重要性や難易度、需給バランスによって価格、すなわち報酬額が決まる。
その結果、同期入社の新卒であっても従事するジョブが違えば報酬が異なることもある。最近ではデジタル関連の職種の報酬が高いことはよく知られている。他にも、グローバルビジネスリーダーや法務など希少価値や専門性の高いジョブは報酬も高いことが多い。
労働市場との取引を通じて人材を確保するには、競合他社との人材獲得競争が起きる。そこでは外部市場と比較した際の報酬競争力が重要になる。これまでの日本企業に多かった、人材の流動性を前提としないメンバーシップ型雇用と比較すると、市場メカニズムが働くジョブ型雇用では報酬水準が高めになることが多い。
当社による報酬調査でも、人材の流動性を前提にしていることが多い外資系企業は、日本企業に比べて同じ職種でも課長クラスで2~3割、部長クラスで3~5割ほど高い実態が明らかになっている。
決定権は現場に
ジョブ型雇用における報酬にはいくつかの特徴がある。一つは今まで述べてきたように職種別に報酬が決まることだ。もう―つは、きめ細かな人材の確保(リテンション)への対応やインセンティブ強化を目的として、昇給や賞与の決定権が現場に移譲される点だ。
どちらもメンバーシップ型雇用の日本企業にとってハードルが高く、導人事例はまだ限られる。ただ、データアナリストのようなデジタル専門人材を獲得する際などに必要性が増しており、採用企業は徐々に広がりつつある。
職種別に報酬が決まる制度とはどのようなものか、匿名の企業事例を紹介したい。
A社は事業展開するうえでグローバル人材、デジタル人材の確保を急速に進めることを決断した。それまでは伝統的な日本企業らしく職能資格制度を運用していた。
社員の多くは新卒入社で、メンバーシップ型雇用に沿ってキャリアを積んできたため、短期的に報酬制度をジョブ型に刷新するのは難しい。ただ、職能資格をベースとした年功序列的な報酬体系では、他社と取り合いになる専門性を持った人材を獲得できないことも明らかだった。
そこで一国二制度、すなわちメンバーシップ型雇用とジョブ型雇用の二制度を併存させることに決めた。中途採用を中心とした一部の社員にはジョブ別の報酬を適用するようにした。
固定報酬ガイド(模式図)
報酬額は職種とキャリア、労働市場のデータから明解に決めていく方法がある
具体的な仕組みはこうだ。報酬水準を示すガイド図として、縦軸にジョブグレード、横軸に職種のマス目を決める。それぞれのマス目の報酬水準の目安となる金額の範囲を、社外の労働市場を参照して規定した。
例えば、データアナリストのマネージャークラスの報酬水準を定義する。労働市場データから該当するジョブの中位値に加えて、75%タイル(母集団を100人と想定した場合の上から25番目)と25%タイル(同じく下から25番目)の報酬額を抽出する。つまり市場価値の「中央値」と「高めの目安」「低めの目安」を把握しておき、報酬水準のガイドラインとする。
次に昇給、賞与といった報酬改定はどのように決めるのか。これがジョブ型雇用における2つ目の特徴である、決定権の現場移譲につながる。
日本でなじみのあるメンバーシップ型雇用では、上司が評価をして、人事部門が給与制度に基づいて昇給や賞与を決める。この方法は部門を超えた報酬水準の公平性を保ちやすく、多くの場合は同年代で大きな差がつきにくい。約40年にわたる先輩・同僚・後輩の関係があり、社内の公平性が重視される中では合理的といえる。
しかし、ジョブ型雇用では話が変わってくる。市場で人材を取り合っていることが前提となるので、考えるべき要素が増えるのだ。
その人がどのようなジョブを担ってパフォーマンスを上げるのか。現在の報酬は市場価値に対してどの程度に位置付けられるか。転職などで不在になるリスク、辞められた時の代替可能性、などを総合的に判断して報酬を決める必要がある。
そうなると、本人のパフォーマンスや退社リスク、職種別の市場価値や人材の代替可能性などを最も細かく把握できる現場マネジャーが報酬を決めることが合理的になってくる。
もちろん報酬を無尽蔵に高くはできないから、総額の決定や各部署への配分、ガイドラインの提供は人事部門が担うが、その枠内で現場が昇給や賞与を決定できるようにする。
ここまで説明すると、ジョブ型雇用に移行するには、報酬制度だけ変えても機能しないことが分かっていただけるだろう。職種別に採用して処遇も異なり、キャリア形成は個人主導に変わる。今までの内部公平的な秩序が崩れ、上司とはいえ人事部門以外のマネジャーに個人の現在の報酬をつぶさに公開することになる。抵抗を感じる日本のビジネスパーソンは多いだろう。
しかし、現場への権限移譲や報酬額の情報公開に手をつけないと、外部競争力のある採用や人材確保はは難しい。いつまでも戦略に必要な人的資源を準備できない状況が続きかねないのだ。
個人が能力開発
言い換えれば、事業に最適な人材のポートフォリオを構築するには、職種別の報酬、昇給・賞与決定の権限移譲といった人事機能の幅広い変革が求められる。この変革は従来の社風や制度と相いれない部分も多い。何より経営陣や従業員の意識改革、個人の能力開発が重要になってくる。
日本ではA社のように「一国二制度」を採用している企業が多いのも事実だ。ただ、ジョブ型とメンバーシップ型の2制度を並行して運用するのは複雑になる。長期的にはメンバーシップ型を維持できなくなる可能性が高く、A社でも会社全体としてジョブ型雇用に移るべきだという議論があったことを付け加えておきたい。
※日経産業新聞 2020年8月27日掲載